2021年2月28日日曜日

2020年モスクワ旅行記(4日目)。トレチャコフ美術館へ行きた~い!の巻。

  2月22日土曜日。

 今日も晴天で朝日がとても眩しく、気温は1度。

 なんだか日本が騒がしいようで、起きて早々、母からビデオ通話(ハングアウト)がかかってきた。日本では全国的にポツポツとコロナ感染者が現れ始め、マスクや消毒液、トイレットペーパーの奪い合いや高額転売などの醜い事態がまだまだ続き、韓国では宗教集会などを中心にコロナ感染者が急増し、アメリカではインフルエンザ(というが多分コロナ)が猛威を振るい、また、影響はほぼないと言われていたヨーロッパの方でザワザワし始めた頃だ。外務省と在ロシア大使館からのお知らせメールをとっていたので、そこから届く情報によると、中国人以外の多国籍者のロシア入国制限は行われないとのことだし、感染者も確認されておらず、入国の際にがっちり振り分け隔離するとの話を聞いていたので、引き続き滞在を続行することにした。それでなくても、まだ来たばかりだ。


旅の準備から前日19日、ロシアへいきた~い!の巻は、←こちら。

2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻は←こちら。

2月21日、『ガガーリンとライカに会いた〜い!の巻は←こちら。


 

 朝8時半ごろにホテルを出発。今日はトレチャコフ美術館の本館へ行くのだ。そこにはソビエト以前のロシアの作家の絵画や彫刻が山ほど展示してある、絶対に外せない場所の一つだ。オープンにはまだ早いので、歩いて赤の広場へ行き、少し休憩。どうやら今日から三連休のようで、マースレニッツアの屋台や催し物も、今日から始まるらしい。楽しみだ。無人の二階建てメリーゴーランドなどを写真に収めたりしてから、また動き出し、モスクワ川にかかる橋を渡り、そこからさらに歩いて、トレチャコフ美術館本館にやってきた。入館料は500ルーブル。


2コマ目。
セレヴリャコワ、朝食。

アルヒーポフ、お客さん。

シーシキン、松林の朝。

ヴルーベリ、倒されたデーモン。


4コマ目。

ネステロフ、少年ヴォルフォロメイの幻視。


 はじめ、赤と白の、いかにもな美術館的建物にたどり着いたので、てっきりそれが入り口だと思ったら、どうやらその並びにある、可愛らしい装飾の民家のようなところが正式な入り口だった。なるほど、入館者を見守るように、パーヴェル・トレチャコフの銅像が立っている。



(初見で美術館の入り口っぽいけど、美術館の入り口ではないところ)


 ここは19世期に存在した富豪のトレチャコフ兄弟が収集した18世期から19世期の膨大な数のロシア作家の作品を展示するために、自宅を解放したのが始まりの美術館で、彼らの死後は国営化し、今の形になっているという。入口の愛らしいファザードは、昨日訪れたヴァスネツォフの家美術館の、ヴァスネツォフがデザインしたものだ。入口からすでに所蔵作品である。ちなみに、赤と白の建物は別館で、映画などを上映するホールになっているらしい。


 入口から階段を降りると、チケット売り場やクローク、お土産屋などがならぶロビーへ出た。営業開始したばかりの時間帯で、団体観光客がいないせいか、人はまばら。売店で、外国の観光地の書店やキオスクによくある、各国語に訳された写真ガイドブックがあったので、見学する前に購入することに。600ルーブル。数年前まで、この手の本は胡散臭そうで嫌煙しがちだったが、実際買ってみると、綺麗な写真やわりと細かい解説もあり、後々見返すとなかなか面白いので、見つけるとなるべく購入するようにしている。


(マリャーヴィン、旋風。)


 ロビーから続く長い階段を上がり、チケット確認を済まし、展示室へ入ると、まずはじめに、巨大な赤い絵が飛び込んできた。フィリップ・マリャーヴィンの作品、”旋風“である。2011年にベネチアの美術館で初めて彼の絵を見て以来、えらく気に入り、彼の作品をもう一度見たいと思っていた。思えば、帝政時代とソビエト時代のイラストレーション意外のロシアの絵画に関心を持ったきっかけとなった出会いだったかもしれない。彼は民族衣装姿の田舎の女性たちを多く描いており、特徴として、赤を貴重にした華やかな民族衣装と、飾り気のないごく普通の女性たちを、やや大袈裟に、画面からはみ出すが如く躍動感たっぷりに描くのだ。宗教や貴族たちのために描かれた、打算的な雰囲気のある西洋絵画とはちがった、ありのままで野性味あふれる世界である。


(ベルスキー、暗算。この絵も人気。しかし額にガラスが嵌め込んであるから、反射してよけいうまく写真が撮れない。)


 小さな家のような入り口だが、館内はとても広い。展示室内は、多くの美術館のように、作家や時代、ジャンルごとに分けてあるが、特に、作品のテーマごとに並べてあるようだ。有名な作家のものはだいたい固まっており、なおかつ、作家ごとに得意とするテーマがあるため、それだけでも統一されたコーナーが出来上がるのだが、それぞれの作品をつなげるように、家族が描かれた作品のコーナー、貧しい人々が描かれた作品のコーナーなど、多くの作家たちの軌跡が間をとるが、ここでもひと工夫あり、広い田舎のリビングを描いた作品の周辺には、女性が針仕事をする絵や、子供が本を読む絵などが散りばめられ、無機質なもののはずの絵や彫刻から、声が聞こえるような空気感がある。それから、子供や老人を描いた絵が多いなと思った。


(スリコフ、モロゾヴァ婦人)


 特にヴァシリー・スリコフの代表作「モロゾヴァ婦人」(日本人にはモロゾフ婦人と言った方が馴染みがあるかも)は、超巨大なキャンバスの周辺を包囲するかのように、たくさんのスケッチが展示されていて、見るものを飽きさせない展示になっており、また、物語の絵を得意とするミハイル・ヴルーベリのコーナーは、とても大きくとってあり、グランドピアノが鎮座する天井の高いホールを使って、大きく長い作品を中心に多数展示してあった。



(ヴルーベリ、幻の女王。)


 そのほか、緑あふれる自然の作品を多く残し、とくにチョコレートの包み紙にもなっている、森で遊ぶ可愛い熊の絵で有名なイヴァン・シーシキン。貧しい人々を描き続けたヴァシリー・ペロフ。彼の作品で最も有名なのは、ドフトエフスキーの肖像画だろう。自分自身と家族、そして女性たちの愛情に溢れた明るい作品を多く残した、ジナイダ・セレブリアコワ。海や船の絵ばかり描いていたイヴァン・アイバゾフスキー。中東や日本を含めたアジア諸国を回り、人々や風景の記憶を精密な筆で残したヴァシリー・ヴェレシチャギン、黒ずくめの娼婦が馬車から見下ろすイヴァン・クラムスコイの名作も我が家であるトレチャコフ美術館の赤や緑壁紙の上に鎮座していた。




 ロシアとソビエトの絵画の特徴は、あらゆる身分の人々の、ありのままの姿を描いてあることだと思う。辛いことも、楽しいことも、とても正直な気持ちで描かいたのだろうというのがうかがえる。写真や日記のように、正しく記録しておこうと思っていたのかもしれない。帝政ロシア時代はともかく、ソビエトの時代など、いろいろと厳しかったであろうと思うのだが、プロパガンダ的なものでも、それまでと変わらず、とても自然な人間の姿が描かれているものが多いので、たぶん、ロシアという国で存在できる作家の条件として、こういった飾らないものを自然に描写できるという暗黙の何かがあるのかもしれない。

 

 書き忘れたが、今日の昼は、展示品を2割ほど見たところで、地下のカフェテリアで昼食を取った。きのこのピロシキとチキンスープ、色々な赤い野菜が入ったサラダと、オレンジジュースでお腹がいっぱい。店から出ると、見学者の数が増え始めていた。どこの国でも昼頃から人が集まり始めるのだな。




 それから存分に見学し、15時過ぎまで館内にいたと思う。どうせなら閉館まで粘ろうかと思ったが、流石に疲れてきた。とりあえず美術館を出て地下鉄の駅へ向かうことに。朝きたときには気づかなかったが、美術館からすぐ南東にある、小さな公園に、さまざまな絵画を模したとてもユニークな噴水オブジェがあった。トレチャコフ美術館の150周年を記念して作られた公園らしい。とても落ち着いたところで、周囲にカフェもあり休憩するにもちょうどよく、暗くなるとライトアップもするそうなので、トレチャコフ美術館本館とぜひセットで訪れてほしい。


 さて、地下鉄2番緑線のノヴォクズネツカヤ駅に来たが、このままホテルに帰るのもつまらないので、今朝見たマースレニッツァのお祭りを見に、北に1駅のキタイ=ゴロドで降りることにした。今朝メリーゴーランドを見たマネージュ広場に出ると、たくさんの人と出し物で、とても穏やかで華やかなお祭りが始まっていた。




 マースレニッツァは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどで行われている、冬を送り、春を迎えるための、東スラブの宗教とキリスト教が癒合したお祭りだ。正教会のイースターの日から決まった週を、逆算して出した1週間がまるまるマースレニッツァのお祭りになるため、毎年2月末から3月上旬あたりが該当するのだが、2020年は2月24日から3月1日までだったので、ちょうど今回の旅と重なったわけだ。今日は22日なのだが、ここマネージュ広場と赤の広場、そしてザリャジエ公園などでは数日前から祭りのような雰囲気がはじまっていた。




 特に賑わっていたのが、赤の広場に隣接するマネージュ広場で、食べ物の屋台や、お土産の屋台、アイススケートリンク、動物ふれあいコーナーのほか、それぞれの民族衣装を着た人々による、工芸体験コーナー、コサックの整列訓練の体験、鍛冶屋やスラブの精霊達のパフォーマンスのほか、なかなかお目にかかれないような伝統的な催し事も、あちこちで行われていた。

 うろうろしていると、ちょうど民族衣装姿の中年女性のコーラスが始まった。美しい歌声にみんなウットリニコニコ。




 それから、ふと思い出して、マネージュ広場を離れ、先日お参りした教会とグム百貨店の間から始まるニコリスカヤ通りを歩くことにした。通りの端から端まで、雪のようにきらめくアーチの飾りを抜けると、その建物が見えてきた。通りの出口の北に大きなデパートが見える。おもちゃと子供用品専門の巨大デパートだ。児童向けのイラストレーターをしていることもあって、ロシアの子供達には一体どんなものが受け入れられているのかが知りたかったのと、イヴァン・ビリビンの絵のステンドグラスがあることと、画材屋を見てきたかったのだ。


 入り口を入るとすぐのステージに人だかりがあり、何かと思えばコスプレだ。いきなりのザ・オタクイベントに度肝を抜かれてしまった。名前がわからないが、アメリカのコミックのキャラクターやゲーム、日本のアニメであろうキャラクターに扮した人もいて、どれもみんな本物かとまごうほど綺麗に仕上がっていた。外の伝統的な祭とのギャップはすごいが、こちらもファンにとっては大事な祭りであることは間違いないだろう。



 ここのデパートの中はロの字になっており、中心の吹き抜けには大きな振り子時計がぶらさがり、天井をぐるっと囲むようにイヴァン・ビリビンの絵のステンドグラスがあるのだ。まずこれを見ないとこの建物の散策は始まらないのだが、その広場一回の中心でも、おもちゃやお菓子の屋台、そして日本のアニメ爆丸の特設イベントが行われていた。盛況しているようで、人気があるのだな。





 イベントの他に、館内では、つねに職人達の確かな腕を堪能できる、たくさんの展示物を楽しめるようになっていた。レゴでできたモスクワの有名な建物を集めたジオラマや、等身大であろう大きさのガガーリンととライカのレゴ。動物やマーベルヒーロー達のリアルなスタチューに、人気アニメ、マーシャと熊のマーシャの大きな像。ロシアの御伽噺を集合させた、アイシングクッキー(?)の大作も素晴らしかった。


 ロンドンへ行ったときに、日本にも進出している、世界的に有名なおもちゃデパートハムリーズへも寄ってみたが、そこよりももっと規模が大きい。のちにモスクワ内のハムリーズへも行って来たので、こんどその話もちょこっとできたらなと思う。


 その他、色々なコーナーを見て、5時半ごろにデパートを出た。しかしまだ外はとても明るい。北国のモスクワだが、以外にも日が落ちるのが遅いようで、7時ごろにようやく暗くなったくらいだ。ちなみに朝日が出て、あたりが明るくなるのも早かった気がする。東京とあまり変わりはないかも。




(おもちゃデパートの近くにある古いデパート。2016年のモスクワ旅行の際に観光バスから見かけて気になっていたのだ。モザイク画は、トレチャコフ美術館で見て来た、ウルーベリの幻の女王の絵であった。)


 デパートから南東に歩き、6番オレンジ線のキタイ=ゴロド駅からプロスペクト・ミーラ駅へ帰ることにした。駅に向かう途中の通りは、赤やオレンジ色に淡く光るアーチがいくつも続いていた。


次回、5日目。

おとぎ話の世界にきちゃった〜!?の巻

 へ、つづく。


旅の準備から前日19日、ロシアへいきた~い!の巻は、←こちら。

2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻は←こちら。

2月21日、『ガガーリンとライカに会いた〜い!の巻は←こちら。

2021年2月22日月曜日

2020年モスクワ旅行記(3日目)。ガガーリンとライカに会いた~い!の巻。

  2月21日金曜日。

 昨日も22時ごろに寝てしまったせいか、朝5時前にバッチリ目が覚めてしまった。窓の外を覗くと、少し日が出てきたのか、空が白味がかった青色をしている。色の名前でいえば、オーロラブルーが近いだろう。日本にいても、早朝の空を見ることはなかなかないので、東京の冬の早朝の空の色がどんなだったか忘れてしまった。

 しっかり寝ていたのか、眠くならないので、二度寝せずまま8時ごろまで仕事をする。今日は地下鉄に乗るので、ラッシュを避けるために、10時ごろに宿を出た。プロスペクトミーラ駅からメトロの6番オレンジラインで、北上4駅のVDNKh(ヴェデンハ)駅へ到着。この駅から出てすぐのところに、全ロシア博覧センターがあるのだ。今日は1日ここで過ごす予定だ。


 前日、2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻は←こちら。



 全ロシア博覧センターは、1939年に開催された、全ロシア農業博覧会用に作られた会場が起源で、それからソ連が崩壊するまで何十年もかけて、広大な敷地内にさまざまな施設が作られたテーマパークみたいなところだそうな。現在はその時代の建物を修復しながら、イベントホールや博物館、美術館などとして利用しているが、その特徴的な建築物の数々のおかげで、どこまで行っても「ザ・ソビエト」な空間にいられる貴重な場所だ。それから、広大な園内に複数の箱物施設が散らばり、スポーツ施設や水族館、ミニ遊園地などもある様子は、上野公園に近い感じがする。




 駅から出ると、すぐ目の前に宇宙飛行士記念博物館のオベリスクや、真っ白で巨大な凱旋門やらが飛び込んでくる。凱旋門の下に立つと、まっすぐに敷かれた長い道の向こうに、星を掲げた黄金の柱がそびえ立つ白亜のソビエト式建築のパビリオンと、その前方にはレーニンの銅像が出迎えてきた。足を踏み入れれば、もうそこはソビエト連邦。しかも、期間限定オプションとして、週末からのお祭りのシンボルである太陽をあしらった愛らしい飾りや門も加わって、奇妙だが、より生々しい雰囲気も感じられる。Google MAPで調べていたときも、広そうだなとはおもっていたが、それを超える広大な様子だ。


 今日は雲ひとつない青空が広がり、気温は2度とちょうどいい。ちょっくら頑張って散歩してみよう。


 ところで、平日の昼近くだが、ポツポツとビジネスマン風の人々がいる。ここいらの施設で働く人たちかなと思ったのだが、どうも様子が違う。彼らはレーニン像から右手の奥に、吸い込まれるように向かっているので、何があるのかとついて行ってみると、なるほど、新しめの大きなコンベンションセンターで近々展示会が始まるようで、そのビジネスデーが今日のようだ。私はお呼びで無いので、そこから園内を少し散策することにした。



 先ほどのレーニン像のあった建物の裏側を目指すと、多角形の広場へ出た。凱旋門から歩いて、最初の噴水広場で、それをぐるっと囲むように、複数の個性的な装いをしたパビリオンが立ち並ぶ。中心に黄金の像で囲まれた立派な噴水が見えるはずなのだが、アイススケートリンクにぐるりと囲まれ、リンクに入らなければ、全体を見ることができそうも無い。事前に組んだスケジュールによると、この広場に沿ってたつ、第71パビリオンへ行くとあるので、そこに入ることにした。




(出入り口のカーブ部分には、こんなソレ~ンな絵が描かれている。こーゆーのをきちんと管理して、観光や歴史の遺産として残すのも手だよね。)


 この施設は、1950年代初頭に建てられたもので、所々に金色に装飾されたギリシャ調の真っ白で優美な外観が目を引く。もちろん、ソ連の槌鎌のマークも当時のままバッチリそのまま残っているそうな。内部はきれいにリニューアルされており、白く清潔な空間になっていた。



 現在はモスクワ市の公共サービス(市役所に近いところなのかな?)の宮殿となっており、また、様々な通信の歴史や職業について楽しく勉強できる無料の施設になっている。特に、ホログラムを利用した展示が面白く、勉強をしながら、スター・ウオーズなどのSF映画の中で行われているようなことを体験できたりする。そんな最新式のテクノロジーに混じり、ソ連時代からあったであろう、ステンドグラスの数々が、これまたSF小説の中にいるようで、いい塩梅に輝いていた。カフェ、無料のトイレや、休憩スペースなどもあるので、屋根のあるところで、軽く休憩をしたい人にもおすすめだ。





 次に見学予定だったパビリオン67は、残念ながら閉鎖中だった。木造の伝統家屋を模した木彫の外観が特徴の、建築関係の博物館だそうで、ぜひとも見学したかったが残念だ。次の目的地へ向かいたいが、例のスケートリンクがあるため、遠回りすることに。67パビリオンのちょうど向かいにあるため、本来なら噴水の脇を通っていけるはずなのだが、仕方がない。




 続いての施設は、『ロボスタンツィヤ』という、その名の通り、様々なロボットが展示してある科学博物館だ。入場料は500ルーブル。建物の外観は古代ローマ宮殿風だが、シンプルな形の可愛らしいロボット達出迎えてくれる。室内はこちらも、古いものと新しいものを上手にとりいれたデザインになっており、この施設のことを書いた可愛らしいイラスト付きのパネルに従って、進んで行く形になっている。


 チケットを買い、入場口方面へ進むと、まず先に可愛いイラスト付きのアシモフのロボット三原則に関しての説明パネルが登場した。この施設は、複数人ごとに1人の係員がつき、各展示物を説明しながら見学するものだったらしく、優しそうなお兄さんが、お一人ですか?こちらでお待ちください、的誘導をしてくれた。順番を待つ間、ロボット三原則を頭に叩き入れておくということもできるのか、なるほど。1分ぐらいで私がついて行くグループが動き出した。穏やかな雰囲気の若い女性の係員を筆頭に、幼稚園ぐらいのちいさな子供達と、そのお婆さん達のグループで、私だけ他人で少し気まずい。


 水槽を泳ぐ魚のロボット、品物を分別するロボット、文字を書くロボット、話しかけてくれるロボット、ジュースを入れてくれるロボット、楽器を演奏するロボット、実際に購入できる販売機、トランスフォーマー、日本のアザラシ型ロボットなど、古今東西の様々なロボットが展示されていて、それぞれが体験できるため、ロボットが好きな人は大満足できる施設だろう。




 入り口地から少し歩いたところに、日本製の小さなロボットが数体設置してあるブースがあり、そこの担当者がスイッチを入れると、楽しげな音楽と光の中で、ロボットたちが一斉に踊り出すと、それに釣られて子供達も、ロボットの真似をしたダンスを始める、ノリノリだ。初めは孫たちを写真やビデオに収めていた、おばあちゃんたちもいっしょにダンスダンス。

 ダンスが終わったあたりで、さすがに一緒の行動はぎこちない感じがしたので、失礼して単独行動することにした。周りを見ると、ガイドなしで自由に見学している親子も見かけたので、多分、人数ごとに入場させているだけで、自由に見学しても問題ないのだろう。




 ダンスをするロボットのすぐそばに、あのスプートニク2号で宇宙へ旅立った宇宙犬ライカをもしたであろう、巨大なロボットが現れた。なんとなくタイムボカンシリーズのメカのような雰囲気もあるが、とにかくロボット好きではなくても心躍るような愛らしいフォルムをしているので必見だ。これは是非ともグッズを作って欲しい。

 施設自体、そんなに広くはないが、子供であれば数時間はしっかり遊べるようなところだ。全ロシア博覧センターには、有名な宇宙飛行士記念博物があるが、宇宙船を見るついでにでも、ぜひ、こちらのロボスタンツィヤへ足を運んではいかがだろうか。



 たっぷり楽しんだあとは、ロボスタンツィヤの裏のほうにある『ヴァレニチナヤ No. 1』というファミリーレストランで昼食を取ることにした。ここは70~80年代ごろのソビエト時代のレストランをイメージした内装の中で、安価にロシアの家庭料理が食べられるチェーン店で、モスクワのあちこちにある。そしてメニューが英語と写真付きなので観光客に優しい。あまりお腹が空いていなかったので、チェリージュースとズッキーニのパンケーキで軽く済ます。合計500ルーブル。休憩をとったあと、元来た駅の方向へ戻り、今日のメインである『宇宙飛行士記念博物館』へ。 


 2016年のロシア旅行のとき、モスクワの中心地から、複数の教会からなる有名な世界遺産、セルギエフ・ポサドへ向かうバスの中から、一瞬だけ、宇宙へ飛び立つロケットを模したスマートなオベリスクを見た。その時はとても遠くにありそうな感じがしたが、実際行ってみると、駅からすぐそばのところに立っていた。上野公園で例えると、ちょうど上野駅公園口から東京文化会館入口までの距離程度だろう。そのくらい近い。


 尻尾のように伸びたオベリスクの真下が『宇宙飛行士記念博物館』になっており、入口からたくさんの観光客や、親子連れ、社会科見学であろう、小中高校生たちの複数のグループが、楽しそうに見学していた。今まで歩いてきた広場やパビリオンにはほぼ人がいなかったのに、さすが人気施設、平日でも多くの人で賑わっている。入場料は300ルーブル。




 入場してすぐに飛び込んでくる、巨大な宇宙飛行士の立像は、ほんとかっこよくて感動する。同じく、一番初めの部屋には、ソユーズやスプートニクなどのロケットや衛星、エンジン、書類、記念品、宇宙犬ベルカとストレルカなど、黄金時代の品々が展示されている。立像の裏はホールになっていて、大学生くらいの学生たちが集まっていた。



 ソビエト時代から現代までの、外国のものを含めた宇宙と、宇宙開発にか関する様々なものが、非常に細やかで丁寧に展示してある。こちらでもビデオやイラストによる解説を多く取り入れており、言葉が分からなくてもんなんとなくわかる仕組みだ。実際に使われた本物の展示品のほか、模型も多数あり、触ったり中に入ったりして体験できるシュミレーターもある。


 入り口の売店や、中のカフェテリアでは宇宙食も買え、ガガーリンやテレシコワ、ライカにスプートニクにボストーク。様々なヒーローたちが描かれたTシャツやポーチなど様々な限定グッズもあるので、購入することを忘れずに。あとで別の店でも売っていると思い、買わずに出てしまい後悔した私のようになってはいけないのだ。ロシア人の同僚であろう人を連れた、日本人の若いビジネスマンが、少し高めのお土産を満足そうに購入していた。私も彼のように買うべきだったのだ。




 建物の外は公園になっていて、オベリスクのふもとをぐるっと歩いて回ることができる。そこの中心には、ロケット研究者コンスタンチン・ツィオルコフスキーの像が鎮座し、両側にはソ連時代の宇宙開発をモチーフにした、いかにもな雄々しいレリーフが施されている。

 ツィオルコフスキーの足元から階段を降りた先は、並木道『宇宙開発通り』になっており、歴代の名だたる宇宙飛行士や開発者たちの像と、様々な惑星の彫刻が並んでいるので、時間があれば、ぜひとも見学していただきたい。




 時間は15時ごろ。だいぶ見学したつもりでいたが、時間が余ってしまった。帰宅ラッシュの時間には鉢合わせたくないとおもい、とりあえず地下鉄に乗ろうと、トロイカを取り出し改札にタッチしたのだが、タイミングが悪くエラーを出して、私の後ろから来た人がゲートに捕まってしまい、それに気づいた駅員のおばちゃんに呼ばれてしまう。



 キセルを疑われて叱られるのかと思いきや、ポスポートを見せなさい、というようなことを言われた。その時、大使館やSNSなどからの情報で、コロナの件でロシアにいる中国人を完全に中国へ帰す目的で、20日からアジア人っぽい人を見つけて、パスポートチェックをしているとの話をおもいだした。おばちゃん駅員さんは、アラごめんなさいね、というふうに、すぐにパスポートを返してくれ、もう一度改札を通りなさい、というように、入り口へ出してくれた。なかなか厳しい。この件のあと、いちども捕まることなく帰国できたので、一度チェックした時点で謎の科学技術を駆使したOKリストなど作っているのかな?と思っていたが、人によっては毎日のように引っかかる人もいたらしいからよく分からない。ロシアも多民族国家で、東アジアや中央アジア系の人もたくさんいるから、係の人も大変だなぁ。(人種関係のはなしは、この数日後に嬉しいミラクルが起きたのでまた。ほんとビックリした。)

 こんなこともあり、このコロナの様子だと、もしかしたらそのうち日本への便もなくなってしまうかもしれないと、ほんの少し危機感が芽生え始める。そうとなると、必ず見て帰りたい場所へは早めに行くが吉と考え、まずはプロスペクトミーラで下車し、ホテルから歩いて5分ほどの場所にある、『ヴァスネツォフの家』へ行くことにした。



 ヴィクトル・ヴァスネツォフは、19世紀後半から20世紀初頭まで活躍した画家で、御伽噺に関する作品を多数残している、ロシアのイラストレーション画家として、イヴァン・ビリビン、レオン・バクストとともに紹介されることも多いかと思う。わたしも子供の頃に、たくさんのロシアやウクライナなどの物語や音楽を楽しみ、それらが縁でヴァスネツォフの作品を目にする機会が多数あった。特徴として、どんな世界の物語でも、この時代のイラストレーションによくある、性的や精神世界的な雰囲気は全く無く、写実的だが、だれもが子供のように気取らない気持ちで見れる、正直な絵を描く作家だと思う。


(団地のようなアパートが立ち並ぶ場所にあるため、外観の写真を撮るのがとても難しかったが、もうちょっと引いたマシな写真は撮れなかったのかと。)

 トレチャコフ美術館の別館として保護されている建物は、住宅街のど真ん中という非常にわかりずらい場所にある。鉄筋のアパートの間にひっそりと埋もれるように、ロシアを代表する画家のひとり、ヴァスネツォフが暮らした家で、美術館である古い木造の伝統的な建物が登場する。そんな様子に、なんだか子供の頃に、似た景色の中で遊んでいたな、と、思い出す不思議な感じがした。

 入場料は300ルーブル。門をくぐってすぐの場所に券売機があったのだが、見落としてしまい、カウンターで購入しようとしたら、受付のおばちゃんから、めんどくさそうに注意された。すいません。


 床を傷つけつけないように、靴の上から使い捨てのビニールカバーを履き、1894年建築のロシアの庶民家そのままのお宅にお邪魔する。昨日訪れたお屋敷とは異なり、多少近代的だが、ロシア独特の木造建築を見学できるのも貴重な経験だ。

 各部屋に本やクラシックのCDアルバムジャケットなどで何度も見たことがある、有名絵画の数々のオリジナルやスケッチ、写真などが飾られており、それもとても近いところからじっくり楽しめる。

 


 ここの学芸員のおばちゃんたちは少し気むづかしそうな人が揃っていたが、やはり見落としがちな場所へきちんと誘導してくれた。案内された木造の階段ギャラリーを登った先は、この家のメインであろう、広く明るいアトリエへ出た。眠り姫、笑わないお姫様、アラビアンナイト、バーバヤガーなど、多数の巨大な有名作品が展示してあり、インテリアは、ヴァスネツォフがまだここで仕事をしているような雰囲気で並んでいる。中心にはベンチがあり、ゆっくり座って楽しむことができた。


 



 帰りの途中でアイスクリームを買い、ホテルへ戻る。途中でたくさんのイスラム教徒の人たちを見た、今日は金曜日だ。ホテルのそばに大きなモスクがあるので、後日、見学に行きたいと思う。

 

 ほどほどにしようと思っていたが、今日も頑張って観光してしまった。



次回、4日目。
へ、つづく。

前日、2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻は←こちら。


2021年2月20日土曜日

2020年モスクワ旅行記(2日目)。レーニンを見に行いきた~い!の巻。

  2月20日木曜日。

 飛行機疲れで早寝したせいか、朝の4時半ごろに目覚める。外はまだ薄暗いが、セントラルヒーターのおかげで寒さを感じず、気持ち良い目覚めだ。

 セントラルヒーターは素晴らしい、室温は常に24度に保たれていて、春のようだ、それに、就寝前に洗濯物をひっかけておくと、朝にはバッチリ乾いている。日本には無い外国の文化のひとつである。うちの熱帯魚の水槽内の適温も25度、お魚たちも毎日こんなに心地よいのかな?と思いながら、持ってきたiPadで仕事を進める。

 旅の準備から前日19日、ロシアへいきた~い!の巻は、←こちら。


 9時ごろにホテルを出発。外の気温は3度だが、先日までいた東京の10度の方が寒い気がする。湿度の問題だろうか?。このくらいの寒さなら、街内見学がてらに歩いていってもよかろうと思い、観光1日目だが、ためしに赤の広場まで歩いてみると、30分ほどで到着した。この程度なら、そこそこ歩いて観光できそうだ。

 広場の周辺には、近々始まるマースレニツァという春を迎えるお祭りの、赤や緑の華やかな飾りや屋台などが並んおり、赤の広場の中心にはアイススケートリンクが用意されている。広場をぐるっと歩いてみたが、さすがにどの屋台も開いていない。

 そうこうしているうちに、レーニン廟が開く時間になるので、入場口へ向かう。

 ここは歴史上の人物の姿を確認できて、なおかつ、特殊な保存方法の一種である、エンバーミング処理された人間の死体を見ることができる貴重な場所でもある。






 ここは月金休みで、朝10時から午後1時までのしか開いていないため、いつも長蛇の列ができていて、入場まで時間がかかるらしい。それを覚悟してきてみたのだけど、観光シーズンではなく、団体客もいないこともあってか、私が最後尾についたときには10人程度しか並んでいなかった。開場を待っていると、英語を話すヨーロッパ方面から来たであろう初老の男性から簡単な英語で、ここはレーニン廟の列か?と、聞かれたので、そうですよ、と答えると、半笑いで「えー?!」というような声を出した。どうやら私と同じで相当並ぶと思っていたらしい。

 5分ほど待つと、いよいよ入場。男女2人の係員から軽く手荷物検査を受け、クレムリンの壁に沿って、一本道を歩いていく。廟自体の入り口は赤の広場の中心に向かって開いているが、混雑防止のためだか知らないが、一方通行の参道のような道を歩いて行くことになっている。道沿いには綺麗に手入れされた慰霊碑やモニュメントがならび、ちょうど廟の後ろ側に位置する行き止まりにソビエトの偉人たちの墓があった。そこの左側から廟の正面にでて、箱のような建物に入る。廟内の写真撮影は禁止だ。




 薄暗い階段を下った先に、高い天井の20畳ほどの部屋が現れ、その中心に大理石の台座があり、その上にガラスの棺が見える。レーニンの足の爪先付近であろう場所からまた階段があり、そこから上りで頭の方へ歩き、また下り、来た時と同じように出口へ向かう。見学者たちは目線をレーニンの遺体に向けながら、穏やかな流れのようにゆっくりと歩いて行く。まるでアニメの白雪姫のように、ガラスのケースの中に眠るレーニンの姿。エンバーミング処理され、生前の姿を保たれているというものだが、なんというか蝋人形みたいだ。廟内には我々見学者の他に、微動だにせず見張りをする20歳代ぐらいの若い衛兵たちが数名。もしかしたらこの青年たちも、本当は蝋人形なのではと思ってしまった。

 見学は5分もしないで終了した。廟内を見たあとは、来た道と反対側から出ることになり、廟の裏にあるソビエトの偉人たちの慰霊碑見学ができる。ろくにソビエト史もわからない一般日本人である私が、ぱっと見でわかるのは、スターリンぐらいかな?。これで、有名なソビエト偉人へのお墓参りの終了である。特に尊敬もしていないのでいかなくてもいいようなところなのだが、確かにモスクワに来て見るべきところであり、あの謎に包まれた感のある石棺のような建物も気になっていたので、見学後はスッキリした爽快感を感じた。

(ガガーリンがあるかと思ったら違う人だった。以前来たとき、ガイドさんが、ガガーリンを加えるかどうか議論しているみたいな話をしていたので、てっきりあるかと思い込んでいた。)





 その後、ワシリィ大聖堂を見学するつもりだったが、1時間以上並ぶと覚悟してきた、レーニン廟の見学も、あっという間に終わってしまったことと、この日はどうやら14時からのオープンになるようで、予定がかなり空いてしまった。仕方がないので時間潰しのため、赤の広場を抜け、モスクワ川沿いにあるザリャジエ公園へやってきた。

 そこは、よく手入れされた広々とした公園で、近代的なコンサートホールや、歴史のある建物が並ぶ。ここにある「パラティ・ボヤル・ロマノヴィフ」という建物を見学するのだ。ロマノフ王朝の最初の王様が住んでいたお屋敷の博物館なのだ。入場料は400p。



 あまり大きくはない木造の建物だが、当時の様子を再現した内装や家具などの展示物が非常に美しく、可愛らしく、まるで今も貴族の人々が住んでいるような、不思議な温かみがあった。

 この施設の目玉である大広間へ来ると、幼稚園の遠足か、先生の説明を聞きながら、子供達が楽しそうに見学している。思わず顔がほころび、その様子を見ていると、学芸員の女性が私を見て、にっこり微笑えんでくれた。この女性に限らず、ここお屋敷の学芸員の女性たちはみんな親切で、言葉のわからない私にも、声をかけたり、手招きをしたりして、あちらの部屋は見た?こちらから写真を撮ると素晴らしいわよ、英語の説明書きならあるけど見る?というふうにジュエスチャーで誘導してくれた。モスクワにきたばかりで不安混じりの旅人にとって、このやさしさは心からうれしく、彼女達には感謝しかない。


 30分ほど見学し、お屋敷を後にする。隣は教会だが、この日はしまっているようであきらめ、並びにある「スタリ・アングリスキー・ドヴォール」という歴史博物館に入ることにした。入場料は300p。



(たくさん写真を撮ってきたつもりでいたが、微妙なのしか残ってなかった😅。でもヤギかわいい。)

 16世期にイギリスの貿易会社が使用していた建物のようで、帆船の模型や航海に使う道具などが展示してあった。こちらでは先客に高校生らしき高学年のグループがいて、テラコッタでできた大きなペチカ(ロシア式暖炉)のがある半地下の部屋で、熱心に先生の話を聞いている。

 あまり大きな建物ではないため、展示品の数は少ないが、説明なしでも視覚だけで、どういったものなのかわかるように上手に展示してあった。特に中心の部屋は、大きな窓から柔らかな光が差し込み、鳥や花やザクロなどの果物をモチーフにした、可愛らしい細工のシャンデリアや、船乗り達が使ったボードゲームなどのおもちゃ、生活用品、薬草なども展示してあり、なぜか見知らぬ人の個人宅へ迷い込んだような、落ち着いた生活感があった。

 学生達がいた半地下の部屋では、時々クラシックコンサートをやっているらしい。タイミングを合わせて訪れてみるのもいいかもしれない。




 博物館を出ると、斜め右手に見たことのあるガラス張りのドーム建築が目に入った。前回のロシア旅行の際に観光バスからチラリと見え、赤の広場の石造りの建築群には似つかぬ、近代的な姿が印象に残っていたのだ。その後Google マップで調べてみると、どうやらモスクワの歴史を簡単に学べる展示物がある案内所だった。ということを覚えていた。それもこんなに近くにあったなんて。

 約4年越しに近づいてみたが、想像していたより大きくない。入ってみると、ガラスのドームの中にもう一つドームがあり、外側が通路になっており、赤の広場の歴史を、文字、ビデオ、模型で知ることができる展示がならび、内側のドームには全面がQRコードでびっしり埋め尽くされていた。SF映画の中のような異空間に圧倒されるが、シティマップやパンフレットをもらえるカウンターがある様子を見ると、観光案内所の場所のようだ。

 観光客たちは思い思いにスマホをかざしてみているが、どうやらQRコードは読み込めないようで、ちょっとがっかり。それでもこのインパクトのある作りは面白い。旅先で観光案内所を行くことは滅多にないが、これなら足を運んでしまいたくなる。特に昨今のSNSブームに乗った観光業の新しい形だなと思った。



 案内所を出てもまだ、お腹が空いていなかったので、公園内を散策することに。ガラスの案内所のように、近代的な建築のコンサートホールへ足を運ぶ。こちらは中には入らなかったが、建物の公園側は施設を覆う殻のような透明の屋根がついた木製の階段になっており、それを座席として利用し、野外コンサートができるような形になっていた。さらに反対側は木々が植えられ、庭のようになっている。コンサートホールを出て公園の中心に向かうと、丘があり、てっぺんまで登ると、公園中が見渡せる。夏や秋だったらもっと素晴らしい景色が見れただろう。

(写真をクリックすると、もうちょっとだけ大きくなるよ。)

 河沿いに目を向けると、新しい橋のようなものが目に止まった。近づいてみると、どうやらこれは橋ではなく、陸と河の上をV字型に繋ぐ形の展望台のようだ。コンクリートや石ではなく、アクリル板で囲まれた柵のおかげで、とても眺めが良く、ワシリー寺院はもちろん、左手にはだいぶ遠くにあるスターリングタワーのひとつまで見える。眺めていると、私が歩いてきた道と反対側から、赤い旗を掲げた賑やかな中国人のツアー客が現れた。今日はたしか20日、今日から中国人観光客のロシア全土への入国禁止になったはずだが、最後の最後の観光かしら?。そんな観光客たちに帰り道を塞がれてしまったので、残念だが渡り切らずに元来た道を引き返すことにした。



(もうちょっとマシな感じで橋を撮った写真があるはずなのに見つからないので、これでゆるして😅)

 そのほか、公園の中心に、ソビエト時代のロケットなどの宇宙関係と、5、60年代のインテリアでデザインされた内装がおしゃれなテーマレストラン『ヴォスホト』あるのだが、1人旅中ではちょっと入りづらそうな雰囲気だったので見送ることに。また次回。




 流石にお腹が空いてきたので、グム百貨店の3階にあるスタローバヤ(食堂)『Stolovaya 57』へ行くことにした。ここに来れば多くのロシア料理を気軽に食べることができるのだ。

 トレイを取って、ガラスの冷蔵庫に並べられたおかずやデザートの中から好きなものを取り、トレイに乗せる。温かいスープやメインデイッシュが希望なら、ショーケースにずらりと並んだ美味しそうな卵料理や肉料理、パスタや米、それらの中から欲しいものを、ケースの向こうで待っている係の女性に告げると、お皿に盛り付けて渡してくれる。パンやジャムなどはレジの前にあり、十分満足したら、あとはレジで会計してもらえば完了。つまり、いわゆるカフェテリア。ここもいつもだったら、行列ができて、店に入るまで時間がかかるそうだが、この日はガラガラで、すぐにトレイを取ることができた。




 蕎麦の実を茹でたものを食べてみたかったので、それを注文すると、大きなお玉でドカンと盛ってくれた。これは大変だと思い、バターの入ったキエフ風カツレツと、野菜のポタージュ、きゅうりのピクルスで軽く締めることにした。これで350ルーブル。席についてあたりを見回すと、日本人の観光ツアーグループが食事を終えて出発の準備をする様子が見えた。こういった庶民的なところで食事をするツアーもあるのだな。

(私のチョイスのせいで見た目が貧しいが、一品のボリュームはすごい。ちなみにスプーンはティースプーンではなく、大きめの食事用スプーンなので、比較してみてください。)

 さて、今回の旅、初めての外食だ。前回のロシア旅行では、レストランでも朝食のバイキングでも出てこなかった、ロシアの式のゆでた蕎麦の実をはじめて食べることになる。

 フォークですくって口に運ぶと、なるほど、想像通りのものだ。不味くはないが、蕎麦の実を塩などでゆでただけなので、プチプチとした歯応えが強い。もう少し柔らかく煮てあるものかと思ったが、そもそもが特別驚く品物ではない。以前本を参考に、スーパーでロシア製の蕎麦の実を買ってきて、自宅でもゆでてみたことがあったが、なかなか柔らかくならなくて、半場諦めて、押し麦のような食感の蕎麦の実をボソボソと食べたことがあったが、そのときのものとなんら変わりがない。もしかしたら、何度か圧力鍋にかけたりしないと、柔らかくならないのかもしれないと思ったが、この硬さで正解なようだ。

 いま、目の前にある皿に盛られた茶色い穀物は、街中華のチャーハンのごとくの量がある。ちょうどカツレツがあるので、ナイフで切って、中の溶けたバターを蕎麦の実に絡めて食べることにした。それでもまだポソポソは終わらないが、幸い、スープカップに並々とそそがれた、熱々のポタージュスープが、神様からの贈り物かと思ったくらい、大変美味しかったので、無事に間食することができた。とんだ苦行を味わった感もあったが、食べたかったものを食べられたので、よしとしよう。


 百貨店中央の噴水広場へ行き、名物のアイスクリーム・・・・ではなく、緑色のファウンテンジュースを購入し、ベンチで一休み。一杯100ルーブル。

 グム百貨店は、日本でいうところの日本橋三越のような老舗デパートで、赤の広場のすぐ東にある、宮殿のような建物だ。ここの中心にある噴水広場と、ソビエト時代から変わらぬ味のアイスクリームとカラフルなソーダファウンテンが名物で、特にアイスクリームはしっかりしたミルクの味とさっぱりした後味が絶妙で、たいへん美味しい。出入り口近くや、噴水広場、その他屋台で販売しており、先ほどのカフェテリアとともに、気軽にソ連を体験できる観光スポットでもあるので、モスクワ旅行の際にはぜひ訪れていただきたい。また、インペリアルポーセリンなどの陶器の専門店や、高級スーパーもあるので、グム百貨店に行けば、質の良いお土産をたくさん買うことができるだろう。



 午前中だけでだいぶ見学してしまったが、ワシリィ大聖堂が開くまでまだ時間がある。赤の広場の北の入口に、小さな教会と、赤い煉瓦の外壁が特徴的な立派な建物があったことを思い出し、そのふたつへ行ってみることにした。



 今回の旅で、まだお参りを済ませていなかったため、先に、小さな教会(カザンの聖母聖堂)へ入ることにする。予定なら聖ワシリィ大聖堂で、今回の旅の初お参りをするはずだったのだが仕方がない。

 カザンの聖母聖堂に近づくと、建物からテープらしき音源の賛美歌やお経が流れていて、ときどきカランコロンと鐘の音が鳴る。そのおかげで場所がわかりやすいが、一階が古い駅舎のような外観で、少し奥からそびえ立つ一頭の玉ねぎ屋根と、聖母子のイコンがなければ、私のような旅行者は教会だと気ずかず通り過ぎてしまうかもしれない。入口の扉を開けると、そこは、確かに教会だった。中は狭く、まるで洞窟のようだが、とても丁寧に描かれ、よく手入れされた壁画や祭壇が素晴らしい。金や宝石で彩られたイコンなども多数展示してあった。内部の写真撮影は禁止だったのが残念だ。


 とりあえずここで旅の無事と安全をお祈りする。私は特別に信仰している宗教はないが、教会やモスク、寺などの施設を見て回るのが大好きだ。なぜならその国の歴史と文化、そして絵画や彫刻などの芸術を楽しむことができるからだ。それもほとんどの施設が無料で。そして、その土地に足を踏み入れることの報告と、自分自身の気持ちとして、最低でも軽く頭を下げることをするようにしている。特に今回は一人旅だ。しかも滞在期間が長く、最新型ウイルス問題も現れている。とにかく、悪いことは何もないように、穏やかに過ごせるように。



(可愛らしい部屋がたくさんあるとは思えない建物の外観。手前はおまつりの屋台のいちぶ。)
 
 つぎは教会を出て、正面にある、ロシア国立歴史博物館へ。それほど大きくない門をくぐって入館すると、チケットロビーの奥から、なんとも眩い空間が見えるではないか。コートを預け、チケットゲートを通った一先の、番初めの部屋が、赤煉瓦の重厚な外観の建物からは想像もつかない、春のような柔らかな空間があるとは、予備知識があっても、思わず歓喜の声をもらしてしまうだろう。



 教会のような高いアーチ型の天井と階段を含め、部屋の壁いっぱいに、クリームイエローとホワイトブルーを下地にした、植物や鳥、モスクワを治めた皇帝達のファミリーツリーが描かれている。床は大理石で、所々に金色の飾りなどが施されているが、とても上品で落ち着きのある空間に仕上げられていた。一応、旅の計画では、ここへ来る予定で、色々と調べてはいたのだが、現実は写真よりも美しいとはこのことだ。


 ここは1872年に開館された建物で。石器時代から現代までのロシアの歴史に関する、ありとあらゆる膨大な資料や芸術品などが展示してある歴史博物館になっている。展示物の数々も丁寧に陳列されていて見応えがあり、じゅうぶん面白いのだが、全40室、それぞれの部屋が異なった内装をしており、漆喰細工で飾られた部屋や、天井部分が木造の部屋、フレスコ画が散りばめられた部屋や、繊細な飾りが彫られたアーチのある部屋など、部屋の作りを見て歩くだけでも楽しめる。窓から外をのぞめば、赤の広場などを見渡せる場所もあるので、モスクワ旅行の際には、必ず訪れることをお勧めしたい。入場料金もたった500ルーブルで大丈夫なのかと思うくらい大満足だ。


 さて、14時もとうにすぎ、時計は16時近くに進んでいた。聖ワシリィ大聖堂へと移動し、いよいよスケジュール上での本日のメイン観光をすますのだ。3年半年前の真夏のロシア旅行でも、赤の広場とグム、クレムリンには入ったが、時間の都合で、聖ワシリィ大聖堂は外観を見るだけで入場することができなかったため、2度目のロシア旅行で始めての入場になる。700ルーブルと強気の値段だが、世界遺産と考えると安いくらいか。



 大聖堂の内部はまるで洞窟だ。木や漆喰であろう素材で塗り固められ、ロシア正教にちなんだ色とりどりの絵がびっしりと描かれている。表から見るとニョキニョキと植物のようにはえている玉ねぎ坊主の内部は、それぞれ縦に長い小さな聖堂になっており、天井は八角系のドームになっていて、見上げると、キリストや聖母の大きな顔が微笑んでいる。


 それぞれの聖堂をつなぐカラフルな廊下が迷路のように張り巡らせてあり、薄暗いため、まるでゲームのダンジョンのようだ。



 見応えはあるが、最も有名な場所のため、混雑すると狭くて息苦しいだろう。ツアーではなく、個人旅行で来ることができて、本当に良かったと思う。


次回、3日目。
『ガガーリンとライカに会いた~い!の巻』
へ、つづく。

←準備から前日2月19日『ロシアへいきた~い!の巻』へ戻る。