2021年3月11日木曜日

2020年モスクワ旅行記(7日目)。バーバ・ヤガーとドッペルゲンガーがでた~!?の巻。

 2月25日(火曜日)。

 気温は1度、今日はプーシキン美術館へ出かける。昨日夜に雨が降ったため、念のためにタイツとスノーブーツを履いてホテルを出た。


旅の準備から前日19日、ロシアへいきた~い!の巻

2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻

2月21日、『ガガーリンとライカに会いた〜い!の巻

2月22日、『トレチャコフ美術館へ行きた~い!の巻

2月23日、『おとぎ話の世界にきちゃった~?!の巻

2月24日、『サーカスと人形劇をみた~い!の巻


 地下鉄へ向かう途中、突然、正面から声をかけられた。声の主は、今時なかなか見ないような、くの字に腰の曲がった、身長150センチも無いくらいなたいへん小柄なおばあさんで、しっかり巻かれたプラトークからはチョロチョロと白髪が見え、しわくちゃな口をモゴモゴと動かし、時折片手で頭をポンポンと叩きながら、なにかわたしに話しかけているのだ。これはいったい何事だろう?まさか誰かと私を間違えているのではないか?。あまりの唐突なことに、唖然としているうちに、おばあさんは、私に向かって別れの挨拶をするように軽く手を上げ、私が来た道へ去っていった。振り向いておばあさんの姿を目で探すが、どこにも見当たらない。


 軽装で歩いていると、突然見知らぬオバサンに話しかけられ、手袋をしろだとか、帽子をかぶれだとか、言われることがあるという話を聞いたことがある。帽子も手袋もかぶっていなかったので、ひょっとしたら、それに引っかかったのかもしれないが、いずれにせよ摩訶不思議な出来事だった。もしかしたら、あの人は魔女バーバ・ヤガーのような存在だったのかもしれない、と、考えてみると、ますますロシアにいるという気持ちが強まってきた。



 今日はプーシキン美術館本館と、その隣の現代美術館館を訪問する予定だ。チケットは共通で800ルーブル。



 プーシキン美術館は、エルミタージュ美術館に次いで世界第二位の所蔵数を誇る美術館で、13世紀から現代までの西洋絵画や彫刻のほかに、イコン、古代エジプト、ローマ、ギリシャ、メソポタミアなどの考古学資料も多数ある。名前にプーシキンは、もちろん、ロシアを代表する作家のプーシキンからとられているそうだ。


 そんなプーシキンと名がついているが、両館とも、レンブラントやなどのヨーロッパ美術をメインに扱っている場所で、ロシア人的なチョイスなのか、キリスト教関係をはじめとし多くの絵画の中にも、謎の生活感を感じるものばかりだ。エルミタージュ美術館へ行った際にも、絵画の中にも生活が感じ取れるようなものが多数展示されており、この可愛らしさは女性である女王様が集めたものだからかな、と思っていたが、今までモスクワで見てきた数々の美術品を交えながら振り返ると、もしかしたら、国民的な感性がそれらを選んでいるのかもしれないと思った。





(こちら。マルタン・ドロランというフランスの画家の作品。窓に紙を貼りつけて絵を描いている女性は、同じく画家でもある娘さんかな?。可愛い絵なので、私も写真撮った。)





 本館にはローマ、ギリシャ、メソポタミア、エジプトなどの考古学資料も多数展示していおり、やはりこちらも内装と展示の仕方が素晴らしい。



 とくにエジプトの部屋は、大理石色の乳白色と、黄色、そしてアクアブルーの配色が上品で、どの展示品も大事そうに置かれている。
モスクワに来る1ヶ月ちょっと前に、エジプトのカイロ考古学博物館にいたのだが、建物自体の老朽化もあってか、物置小屋のような雰囲気があった。近々オープンする新しい博物館に移動する予定だというが、少し残念な気持ちになってしまっていたので、改めてモスクワで雰囲気の良い場所で見れてホッとした。(しかし、カイロには館内をパトロールしている猫が数匹みれたので良しと)。次回、カイロの新しい博物館へ行けるのはいつになるだろうか。




 続いてギャラリー館へ。こちらはあまり広くはないが、落ち着いた家庭的な雰囲気の館内で、マティス、ピカソ、ゴッホ、モネ、ドガ、ゴーギャン、ルドン、カンディンスキーなどの19世紀から20世紀の近代作家の絵や彫刻が所狭しと展示されている。なんでもこちらだけでもオルセー美術館に次ぐ規模だとか。



 入り口を入ってすぐ、長い階段があり、そこを上り切ったところにフェルナン・レジェの祭壇のようなコーナーがある。その階段を登ろうとすると、私の20歩ほど前に、小柄で、首からカメラを下げた、センスの良い明るい色のファッションの女性がいた。本館でも彼女を見かけたので、私と同じルートで楽しんでいるのだろう。そう広くはない踊り場の展示場、数歩先にたどり着いた彼女は、私に気づいてくれていたのか、お互い少し作品を見た後、ジェスチャーと笑顔で写真の順番を譲り合った。トレチャコフ美術館新館でのちょっとした挨拶といい、こういったさりげないやりとりは、気持ちが軽くなってとても嬉しい。


 そうかと思うと、展示室内では、若い東洋人女性が、ものすごい機敏な動きとスピードで、絵画の写真を撮り歩いているのが少し怖かったり、気に入った絵の前にいちいち孫を立たせて写真をとっているお爺さんがいたり。人との距離も狭いだけに、他人の行動も目立ったその辺りでも面白かった。




 正直、印象派美術自体、日本ではフランス系の特定の作家やイメージを持ち上げている印象が強すぎて、私個人的に作家による好き嫌いが激しく、ジャンルとしてそんなに好みではなかったので、あまり期待はしていなかったのだが、この美術館が鑑賞するのに程よい狭さと落ち着きもあってか、存分に楽しめた。

 印象派というのは高級なものではなく、家の台所やリビングの様な、家族の集まる様な場所に飾って、なごやかに楽しむのが一番良い楽しみ方なのだろうな、と思った。





 お次は、プーシキン美術館から、大通りを挟んで正面にある、イリヤ・グラズノフ美術館という、作家個人宅を改造した美術館へ行ってみた。Googleマップの情報では、内装が良いと、しかも私の好きなリシンの飾りや絵などもあるということで入ってみた。なるほど、なかなか面白い。イリヤ・グラズノフ自体、日本では無名かと思われる作家だが、ソ連時代に風景、演劇、挿絵、肖像画、その他多方面で活躍した画家だという。なかなかパンチのある絵が多く飾られているが、申し訳ないが、やはり装飾に目がいく。ここでも大好きなシリンとアルコノストやらの飾りなどを写真にコレクションしてくることができたので満足か。



 ホテルに戻る前に、マースレニツァで必ず食べられる、ロシアのパンケーキ“ブリヌイ”をたべるために、またお祭りテントへ向かうことにした。




 赤の広場のそばに、複数の駅を結ぶターミナル的な駅ビルの様なショッピングモールがあり、外へ出ようと、モール内のエスカレーターを上がっていると、すぐ隣にある階段を、1人の女性が急ぎ足で駆け上がってきて、私の隣につき、声をかけてきたのだ。彼女はとても真剣な表情でロシア語で何やら私に話をしている。それだけでも驚いてしまうのだが、不思議なことに、その人は私によく似ていたのだ。違うのは眉間の肉の厚みと目の色か、なんということだ。生まれてから一度も自分と似た人を見たことがなかったこともあり、あまりの衝撃に疲れが吹き飛んでしまった。


 流石にちょっと困ってしまい、英語で日本人だと伝えると、彼女は驚いた顔で、英語で自分はカザフスタン人だと言い、申し訳なさそうな顔で謝り、エスカレーターの下へ戻っていった。彼女の降りていった先を見ると、同じカザフスタンの若者達だろうか?、数人の中東と東洋の混ざったような顔立ちの男女が困ったような顔で話し合っていた。どうしたのだろうか。


 その後、ロシア大使館からのメールでわかったのだが、カザフスタンがロックダウンするということで、その件で彼女達に困ったことがあったのかもしれない。私が日常会話ができる程度にでもロシア語がわかったら、なにかできたかもと思ったが、わかったところでどうしようもできないので、どっちみち断って正解だっただろう。


 余談だが、母と年に一度、海外旅行をしていて、その中で訪れたイスタンブール、敦煌、ウルムチで、現地の店員さんなどが私たちを見て、現地の言葉で話しかけてきたりするのが不思議だった。そんなことがあったあとは、顔が何々スタン系の人に近いのかもしれないね、みたいな話で締めくくるのだが、自分たちから見ると、そうそう似た感じはないなという気がしていた。

 

 

(平日なので人が少ない)

 と、余計な話が長くなってしまったが、カザフスタンの女性のことが気にかかったままだったが、おとなしくお祭り会場でブリヌイを食べることにして、練乳のかかったブリヌイとホットベリージュースを注文。ブリヌイはパンケーキの一種だが、薄く焼いたものなのでクレープに近い。このタイプの薄いパンケーキはうちでもよく作るので、新しいものを食べた感じは全くないのだが、日本で言う月見団子やお萩のような、伝統行事とふせていただくことに参加したのは、良い経験ではなかろうか。




 イートインコーナーで隣にいた、90代くらいの杖をついた愛想のいいお婆さんから何か話しかけられながら味わっていると、母からTV電話がかかってきた。お祭りの様子を見せるとなんだか拍子抜けしたように、呑気だね、とか、平和だね、とか、楽しそうだね、とか。そんな様子を見てすこしホッとしたようだ。


 先日イタリアでクラスターが出た話が煽られて、日本では毎日、ワイドショーがセンセーショナルな話ばかりしていてうんざりしているらしい。母も3月上旬から沖縄旅行へ行く予定だったので、コロナのせいで諦めざるをえないのが許せないと。せめてもと、スマホを持ち、TV電話でマースレニッツァの様子を見せて歩いた。わけのわからないウイルス騒動が早く治まりますようにと、願うばかりなのである。


次回、8日目。

『旅先でも仕事ができちゃった~!?の巻』

 へ、つづく。


旅の準備から前日19日、ロシアへいきた~い!の巻

2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻

2月21日、『ガガーリンとライカに会いた〜い!の巻

2月22日、『トレチャコフ美術館へ行きた~い!の巻

2月23日、『おとぎ話の世界にきちゃった~?!の巻

2月24日、『サーカスと人形劇をみた~い!の巻

2021年3月9日火曜日

2020年モスクワ旅行記(6日目)。サーカスと人形劇をみた~い!の巻。

  2月24日(月曜日)。6日目。

 今日は待ちに待ったサーカスと人形劇の日なのだ。再びモスクワへ来たら、このふたつは必ず見てこようと決めていたのだ。どこの国でもなのだが、だいたい月曜日は美術館やら博物館やらがお休みだ。なので、月曜日に見にいくことに決めたのだ。


旅の準備から前日19日、ロシアへいきた~い!の巻

2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻

2月21日、『ガガーリンとライカに会いた〜い!の巻

2月22日、『トレチャコフ美術館へ行きた~い!の巻

2月23日、『おとぎ話の世界にきちゃった~?!の巻


 私が子供の頃、小学校低学年くらいまで、年に1度か2度、家族でサーカスを観に行っていた。キグレだとかボリショイだとか。私はサーカスが大好きで、幼稚園の頃の将来の夢は、サーカスのライオン使いになることだった。しかし、それでは兄にバカにされると思い、幼稚園の自己紹介カードの将来の夢を書く欄には、ぶなんな感じに、“ケーキやさん”と嘘を書き、その代わり、卒園アルバムの表紙には、たくさんのライオンと遊ぶ絵を描いたことがある。人形劇も同じように、物心つく前からテレビや劇場などで親しんでおり、いつも楽しみにしていた。人形遊びは大の苦手だっだったが、プロが演じさせる人形の演技には夢中になるのであった。


 そんな思い出ありきだが、とくにサーカスはだいぶご無沙汰だったりする。それこそ最後に見たのは10歳になる前だったかもしれない。人形劇も最後に劇場で見たのはもっと小さい頃だったかも。とにかく、好きだったけれども、舞台で見る機会を逃していたものを、サーカスも人形劇も、国を挙げて大事に育成してきたロシアのモスクワで、数10年ぶりに楽しもうじゃぁないか、という特別な日なのです。


 時刻は昼の13時、気温は4度で太陽が眩しい。まず先にニクーリン・サーカスへ向かう。このサーカス団は、1880年にアルバート・サラモンスキー氏によって創設され、1996年に長年サーカスに勤めた道化師のユーリ・ニクーリン氏の名前を取って、ニクーリン・サーカスと新しく名付けられたそうだ。ちなみに、現在はニクーリン氏の息子が指揮を取っているという。


 サーカス劇場のすぐそばにも地下鉄の駅などがあるが、今回の旅の最初のホテルの最寄り駅からは乗り換えが必要になる。ならばと、そのサーカス劇場と人形劇場の両方へ歩いてもいける場所をと思い、ホテルを選んだのであるが、もう少し赤の広場に近い場所でも良かったかも、と、歩きながら思ったりもした。しかし、予定の27日分の宿としての予算内で、かつ、希望する条件が揃い、ちょうどきれいに収まったのだから仕方がない。

 



 連休最後の日のせいか、サーカスへ向かう通りは、飲食店やショッピングモールなどもあり、たくさんの人が行き交っている。道路のちょうど中心の南北にのびる広い遊歩道があったので、そこを通って行くことにした。こちらでもマースレニッツァのキラキラした太陽の飾りなどがあって、寂しげな冬の遊歩道を温かくいろどり、やがて道がひらけると円形の広場になり、ピエロなどの彫刻と噴水が登場し、右を向くとニクーリン・サーカスの専用劇場が現れた。会場時間も近いため、たくさんの人たちが劇場内に向かっている。

 こちらのチケットはサーカスの公式サイトでeチケットを購入した。2階席で大人1枚1500ルーブル。日本への巡業があり、日本人団員もいるせいか、ロシアのサイトにしては珍しく日本語にも対応しているため、とてもありがたい。




 建物の中に入ると、なんだかとても懐かしい感じがする。親子連れが溢れるロビーのあちこちに、サーカスの歴史のパネル写真や、動物と写真が撮れるふれあいコーナー、ポップコーンやお菓子の売店、メルヘンなロボットオブジェなど、建物もふるいが、良く手入れされているため、子供の頃にタイムスリップしたような不思議な感覚が襲ってきた。今、私は5歳で、ロビーの有料撮影ブースと虎と女性調教師をじっとをみながら、わたしも調教師になれば猛獣を飼うことができるのに、と、いらぬ夢を頭に浮かべているかもしれない。などと思ってしまった。




 今回のチケットを取る際、座席はすでに半分近く埋まっていたため、ベストであろう場所はみんな手遅れだった。それでも、前列の人の頭で悩まないようにと、通路側の席を予約した。柱などの多少の障害はあるが悪くは無い。今日の演目テーマは“おとぎばなし”だそうだ。正面舞台の反対側の上空に、バーバ・ヤガーの家がぶら下がっている。トレチャコフ美術館新館の特別展示とつながるような感じもして期待大。いよいよブザーが鳴り、私の胸も高まる。



 ストーリー仕立てで演目は進み、ときどき道化師達による観客を巻き込んだ軽技コントを挟みながら、空中ブランコ、動物曲芸、手品、アクロバット、ダンス等、どれもこれぞサーカスといった風の古典的なものばかりなのだが、まるで絵本の中から飛び出してきたような、暖かい色合いの可愛らしい衣装に身を包んだパフォーマ達が、次々と繰り出す多数の芸は、洗練されていて非常に高度だ。サーカスとはこんなにも完成された芸術なのかと、瞬きをする間も惜しくなるような2時間半だった。


 そんな楽しいサーカスの最中に気になることがあった。長時間に及ぶ見事なジャグリングを披露していた、ピノキオの姿のジャグラーが登場していたのだが、どうも体系も顔も日本人のように見える。日本のサーカス団員なども、海外で修行を積んだりするという話は聞いていたが、ひょっとするとこの方もかしら?、と、思った。もし、そうでなかったら申し訳ないが、素晴らしいジャグリングを見れたことはとても嬉しい。ピノキオのジャグラーは子供達にとても人気のようで、カーテンコールの際にも、子供達の声に応えてたくさんの笑顔を振りまいていたのが印象的だった。

 



 時刻は夕方の17時前か、人形劇の開幕が18時からなので、いそいで会場へ向かう。

 こちらは、モスクワ州立アカデミックセントラルパペットシアターといい、1931年に創設され、公演はもちろん、人形制作と人材育成、資料の保存や研究などもおこなっている、世界最大規模の人形劇専門劇場だ。ここの劇場も、前回のモスクワ旅行の際に、移動の観光バスの中で通りかかり、次回モスクワへ来るときは、必ずここへ戻ってこようと決めていたところでもあった。




 館内は入口からたくさんの人形達が出迎えてくれる。入口のさらに奥には、ここの人形劇場で使用されていた人形や小道具のほか、世界中の人形劇団が実際に使用していた、たくさんの人形が展示されている博物館がある。あまり広くはない美術館だが、中は人形が展示されているガラスケースの迷路の様になっていて、その数の多さには圧倒される。何より、世界中の人形劇用の人形を誰もがいっぺんに見れる場所は、おそらく、世界中探しても他はないだろう。日本からは文楽人形と、某有名児童向け人形劇団のカッパや小坊主などが飾られていた。






 その中で、とくに目に止まったコーナーがあった。今日、これからみる、“特別なコンサート“という演目の人形やパネルが展示してあるのだが、そのなかで見覚えのあるポスターがあるではないか。桃色の背景に、大きく胸が開いたドレスを着て、大きな口を開けているオペラ歌手らしき女性が描かれたもので、実はこれとほぼ同じものがうちにあるのだ。私が18歳くらいの頃、古本屋でA3サイズほどの大きなソ連時代のポスターを集めた画集を購入し、その中にこのポスターがあったのだ。女性の様子から、オペラのポスターであろうということは理解できていたが、まさかここ、ロシアの人形劇場で再開するとは思わなかった。運命か、帰国後すぐ、そのポスターを切り取って、額に入れて飾ったのである。





 これはますます楽しみだ。階段を上がって最初の踊り場にはピノキオの時計があり、その次の階段の両脇には、兵隊と貴婦人の大きなレリーフが、そして階段を上がった突き当たりには、ガラスでできた大きな女王様のような人形があった。これはからくり時計になっていて、チャイムとともに色々な仕掛けが動くらしいが、うっかりして見過ごしてしまった。ちなみに、建物のシンボルにもなっているオブジェもからくり時計になっており、時間になると鶏の鳴き声とともに、鐘が鳴り、音楽とともにたくさんの窓から人形劇が登場する仕組みなので、入場を予定していない人にも、ぜひ見ていただきたい。



 ロビーにもたくさんの人形やパネルが展示してあり、それらを見ながら、ジュースとシロークで腹ごしらえをすることに。お腹がなっては失礼なのだ。



 劇場内はとても小さいが、人形劇場としてはかなりの規模だ。垂れ幕もこの演目使用だろう、あのオペラの女性の姿もバッチリ絵ががれていた。プログラムを買っていると、続々と人が集まってくる。日本人の感覚だと、人形劇は小さな子供のためのものというイメージが強いが、ここでは大人も子供も関係ないようで、とくにこの演目は、この劇団の代表作で、12歳以上の年齢制限を設けている作品のひとつであるらしく、8割がた大人の満席であった。日本では大人向けの舞台人形劇として文楽があるが、それよりもはるかに気軽に観れる文化があるのは正直うらやましい。チェコなどでも観光用にドン・ジョヴァンニなどを見せる劇場があるが、それよりももっとオープンだろう。



 席を予約する際に、移動のことを考えて、中心列の一番端っこを取ってみた。サーカスの時と同じく、前列先の頭問題はクリアできたが、真後ろでは子供の団体が座りはじめた。しかも、私のすぐ後ろは背が低い子らだ。これではこっちが頭問題の加害者になってしまう、と、ちょっと気を使いながら、幕が上がった。


(自宅で撮影。プログラムと例のポスター。司会者の声は、日本語で吹き替えるのならば、間違いなく熊倉一雄さんで、オペラプリマは向井真理子さんがピッタリだったろうな。)


 中年の司会者と高齢の指揮者の人形が現れ、さも、本物のコンサートが始まるかのように、舞台の中の幕も上がる。演目は、合唱、チェロの独奏、オペラ、アルゼンチンのタンゴ、イタリア人のバリトン、赤ちゃんのピアノ、メキシコのマリアッチ、ジプシーの踊り、フランスのプードルのサーカス、アラブの手品、タップダンス、ライオン使い、フランスの歌姫、ガラクタバンド、デュエット歌手の順に続き、美しい音楽とともに、とても子気味の良いコントやギャグをこれでもかと畳みかけてきて、ものすごく面白い。人形が何かをやるたびに、会場内も拍手や笑い声でいっぱいになる。さも、本物のコンサートが始まるかのように・・・・といったが、これは紛れもない、本物のコンサートだ。


 この演目は、1946年6月19日に初演が公開され、1968年に第二版としてシナリオが構成され直し、現在まで9000回以上演じられ、ギネスブックにも載っているという。昼間のサーカスとまた同じようなことを叫んでしまいそうだが、本当に、あっという間の2時間、これほど高度で素晴らしい人形劇があったであろうか?と、いつまでも拍手を止められない、最高の舞台だった。

 

 私の隣の席には、自分と同じ年齢くらいの男性が座っていたのだが、彼も人形劇のファンなのか、最後まで拍手をしていたうちの1人だった。公演中にお喋りをする子供達や、撮影禁止なのに写真を撮りはじめた前の席のおばさんたちに静かに注意したり、開演前は、人が全て座り終えるまで壁際に立ち、終了後はサッと席を立ってまた邪魔にならないように壁に寄り、立って拍手をしていた。おそらく数えきれないくらい、ここに来ているのだろうな、この人と友達になったら楽しいだろう、などと思いながら、劇場を後にした。



 あたりは暗く、からくり時計もライトアップをしている。たった数時間で、自分が求めていた最高のサーカスと人形劇を楽しむことができた。こんな心から幸せだと感じる1日を過ごせたのはいつぶりだろうか?。


 帰り道、自分のことを考えた。ここ数年、仕事のことについて、かなりもやもやしていた。ずっと生きていくために無理をしてきたような気がしていたが、なかなか壊せない壁があった。だけど、自分の原点を振り返ると、今日、見てきたサーカスや人形劇、そして音楽だった。ずっとぼんやりとしていて、前向きになれなかったけど、頑張ってみようと決心するのであった。



次回、7日目。

『バーバ・ヤガーとドッペルゲンガーにであった~!?の巻』

 へ、つづく。


旅の準備から前日19日、ロシアへいきた~い!の巻

2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻

2月21日、『ガガーリンとライカに会いた〜い!の巻

2月22日、『トレチャコフ美術館へ行きた~い!の巻

2月23日、『おとぎ話の世界にきちゃった〜!?の巻

2021年3月4日木曜日

2020年モスクワ旅行記(5日目)。おとぎ話の世界にきちゃった〜!?の巻。

  2月23日(日曜日)。

 昨晩から降りはじめた雪は、朝になってもチラチラと降りつづけ、窓から見える屋根や木々は、みんなうっすらと白い化粧をしている。モスクワに来てはじめての雪で、ようやくイメージしていたモスクワの冬を実感したような気になった。風もあるので、今日は観光できるかどうか不安だったが、天気予報を見ると午後にはやみますよとのこと。不思議なことに、正午になると雪も風もピタッと止んで、お日様が顔を出した。すごい、的中。外の気温は2度、今日はトレチャコフ美術館の新館へ向かおう。


旅の準備から前日19日、ロシアへいきた~い!の巻

2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻

2月21日、『ガガーリンとライカに会いた〜い!の巻

2月22日、『トレチャコフ美術館へ行きた~い!の巻


 トレチャコフ美術館の新館は、昨日訪れた本館から南西、地下鉄2駅分ほどの所にある、川沿いの大きな公園内にある。最寄駅になる6番オレンジ線のヤキマンカ駅からすこし距離があるようだが、やんだばかりの雪で湿った道は、うまれてはじめて履いたスノーブーツを試すのに、絶好の機会だ。ちなみにヤキマンカの地名は、日本のインターネット上では、何故かヤキマンコという名前で呼ばれてれている。



(今日の日記漫画は無しですよ。)


 こちらは、本館と別館の伝統的な建物とはガラッと変わり、コンクリートの箱のような、いかにも20世紀的な建物だ。オープンは1983年とわりと新しい。新館は主に、常設展として、1917年ごろから1900年台初頭のソビエト時代の作品の展示場と、企画展などを行う複数の展示場があり、いずれも独立した入り口を持っている。




 今日のスケジュールとして、まず初めに特別展示室へ。2月22日に始まったばかりの「ロシアのおとぎ話の展示会」を見るのだ。入り口に到着はしたものの、10人づつの入出場制限をしているらしく、外の列に並んで待つこと10分。手荷物検査後、チケットを購入、500ルーブル。コートを預けて二階へ上がると、展示会の看板にもなっている、ヴァスネツォフの『イワン王子と火の鳥と灰色狼』のイワンとエレーナと狼の絵をを可愛らしくデザイン化した大きな看板が出迎えてくれた。展示会場の入口へ向かう大きなホールは、まるで冬の空にうかぶ雲か生霊か鳥か雪か、とにかく見るものにインスピレーションを与えるような、たくさんの白い布の塊のようなものがぶら下がり、エスカレーターを降りると、なんと、銀世界が待っていた。




 ロシアのおとぎ話の世界をイメージした室内には、4つの部屋で構成されている。まず、入口に緑色の四角い「石の部屋分岐点」という部屋があり、そこから東西南北に扉が放たれていて、見学者達をおとぎ話の世界へといざなう。




 南の入場口を基準にし、東は地下の王国で、迷路のように複雑な暗い部屋になっており、見学者達はヒーローになって、三頭のドラゴンと戦ったり、バーバ・ヤーガと出会ったり、王冠やクリスタルの棺桶を、まるで氷の洞窟のように模られた展示室内を、上へ下へと探りながら冒険する。西は水中王国で、人魚やカエルの王女様、ルサルカやサドコや金魚などと一緒に、大きな波が押し寄せ、黄金の魚が泳ぐ空間でただよう。




 北は魔法の森で、大きな円形の部屋の壁には、上から下までぐるっと大きな鏡が貼り付けられ、雪化粧で真っ白に輝くような沢山の大木が立ち、動物たちが隠れ、中心には大きな熊が眠っている。 展示室の最も北にもう一つの四角い分岐点があり、四角を区切る斜めに建てられた壁には、ヴァスネツォフ画の魔法の絨毯の絵が飾られ、その奥の突き当たりには下半分がとろけた絨毯が飾られている。その左右の壁に、私の大好きな頭が女性で体が猛禽類のスラブの妖怪、シリンとアルコノストの対の立体作品が配置されていたのも、この展示会ならではだ。




 そのあちこちに、絵画や彫刻、写真、ビデオ、音、絵のキャラクターの小道具などが散りばめられている。展示室のどれもが、驚くほど手が混んであり、まるでテーマパークにでも来たような雰囲気だ。ここまで手の込んだ絵画の特別展は、生まれてから一度も見たことがない。

 もちろん、各部屋ごとにふさわしい物語の作品が展示されており、映像作品のあるものの一部は、そのビデオと衣装のスケッチなどともに展示され、各キャラクターのそばには、剣やホウキのようなふさわしい小道具も用意されている。覗き穴から見る作品や、絵や写真をデジタル処理をし、まるで動いているように見せるインタラクティブなものもたくさんあった。




 展示品のほとんどが、イリヤ・レーピン、ヴィクトル・ヴァスネツォフ、ミハイル・ヴルベル、レオン・バクスト、エレナ・ポレノバ、イヴァン・ビリビンなどのお馴染みの作家の有名作品ばかりだが、現代アーティストによる新しい作品も多数展示されているため、うまくバランスが保たれ、子供からお年寄りまで、見るものを飽きさせないであろう、楽しい空間に仕上がってた。



 満足して会場を出て、新刊の常設展へ移動する前に、もうひとつ別の展覧会の入り口があったので入ってみることにした。こちらでは活躍中の作家を含む、現代芸術の展覧会が行われていた。彫刻、絵画、写真、版画、手芸、なんでもありで、想像以上にたくさんの作品が展示されていた。どのの作品のもレベルが高く、個人的に購入したくなるようなものも多数あった。どこの国でもそうかもしれないが、美術作品も、強いメディアが持ち上げたりしない限り、多くの人々が目にする機会はほぼ無いというのはとても残念なことだ。



 彫刻の写真を撮っていると、私と反対のルートから鑑賞していた白髪の中年男性が、歩きながら柔らかな笑顔で軽く話しかけてきた。こちらも笑顔を返したが、あれは、たのしんでますか?とか、お気に召しましたか?とかいっていたのだろうか。なんだかよくわからないけど、こういう場所での他人同士のさりげない交流はとても嬉しい。言葉がわからないのが悔やまれる。




 常設展示室へ向かうために、一旦外へ出る。夕方近いが、まだまだ明るく、駐車場に展示されている車のオブジェは、子供達がよじ登ったり笑ったりてして大賑わいだ。



 ここでもまたチケットが必要になる。大人一枚600ルーブル。ATMがあったので、ついでにここでお金も下ろしておく。海外旅行先のATMで現金を引き出したいときは、博物館や美術館、もしくは必ず警備員がそばにいるような場所を探して利用することにしている。なぜなら、大体すいているため、慣れずにもたついていても、じっくり落ち着いて操作できることと、監視の目が行き届いているため、スキミングや窃盗の心配がほぼ無いからだ。




 入場してすぐ階段を上がったところの吹き抜けに、打楽器のような遊べる作品と並んで、みたことのある鉄の彫刻が現れた、ウラジミール・タリトンの“第三回国際記念碑”だ。タトリンの塔とも呼ばれる、鉄柱やガラスなどを組み合わせて作った螺旋階段のような塔の完成イメージ模型なのだが、20世紀初頭の芸術や文化を描いた書籍でたびたびお目にかかるのだ。自分の記憶が確かなら、今まで、あまり解像度のよろしく無い白黒の写真でしかみたことがなかったのだが、目の前にドンと登場すると流石に面食らう。写真だと冷たい無機質な塔のように見えていたが、実際はその反対で穏やかで柔らかい雰囲気があった。そのほか、展示室へ向かうまでに、いくつかの彫刻やレリーフをたのしんだ。また、大きな窓から見える外の景色がとても良い。




 そして、こちらでも美術館内の所々で、複数の特別展を同時に開催しているようで、この日が最終日だった、『芸術文化博物館100周年記念の展示会』から回ることに。私は未来派などの抽象芸術も好きなので、ここでも嬉しいプレゼントをもらったような気持ちで入場した。


 1919年から1929年の10年間だけ存在し、その後はトレチャコフ美術館に吸収された、“中央モスクワ芸術文化博物館”の所蔵品のなかでも、"リストNo. 1"と呼ばれる最高の作品たちを集めた展示会だそうだ。

 リュボフ・ポポワ、カジミール・マレーヴィッチ、ワシリー・カンディンスキー、ナタリア・ゴンチャロワなどの、ロシアを代表するアヴァンギャルド芸術形の作品を、1920年代半ばのモスクワ芸術文化博物館の博覧会での記録を元に、当時のレイアウトを再現して展示しているというこだわりようだ。

 

 特別展示場を出て、もう一度吹き抜けを囲む廊下に出る。常設展の入り口は、黒枠のガラス張りのなんでもない扉がひとつ、これだけ大きな美術館のメインルームであろう場所なのに、その小さな入り口には少し驚いてしまった。




 トレチャコフ美術館本館とは真逆の、飾り気のない無機質な展示室内は、規則正しい迷路のようになっている。右と左のどちらからでも進めるようだが、私は左から進むことにした。

 カンディンスキー、シャガール、ロドチェンコ、レントゥーロフ、コンチャロフスキー、サリヤンをはじめ、前衛芸術、社会主義リアリズム、近年の新しい作品など、ロシアの芸術にくわしくはなくても、少し芸術を勉強したことのある人であれば、ぱっと頭に浮かべるような作品が多数展示してあるのが、ここ新館の常設展示室である。日本でも大変人気のある、シャガールやカンディンスキーなどの、色彩の洪水のような作品だけではなく、もちろん、生活のいちぶを切り取ったような写実的な作品も多くある。




 こちらも、多くの美術館のように、作家や時代、ジャンルごとに分けてあるが。別々の作家が書かれたであろう絵でも一枚一枚順におっていくと、なんと、ストーリーが繋がっているように読み取れることに気づいた。

 しかも終わりの数点は、ソビエト色の強いもので締めくくられている。ここまに来るまでずっと華やかで明るい作品が続いていただけに、唸ってしまった。








 他に面白かったのは、友人であろう彫刻家の肖像画を描いた絵の前には、その彫刻家が絵の中で制作中だったものの完成品が鎮座し、大家族の女性たちが記念写真のようにならぶ絵の前には、寝転んで頬杖をつき微笑む少女のブロンズ像があるなど、このように、ほぼ全ての展示室で、絵と彫刻をうまく組み合わせた展示を行っていたのも印象的だった。




(帰り道、偶然通りかかったところにあった、お菓子の家のような可愛い建物。イグモヌフという豪商が建てさせた邸宅で、現在はフランス大使館として使用されているそうな。)


 気付けばそろそろ6時になる、お腹も空いてきたので帰ることに。美術館の庭の彫刻を見歩きながら朝来た駅へ向かうが、なんと、駅へ着いてみたら、トロイカカードのチャージ機のある入り口が点検で閉まっているではないか。朝ここへくるときに使い切ってしまったので、乗車できる回数はもう残っていない。しかたなく、昨日利用した駅まで歩くことに。先にチャージしてからくるべきだった。

 ようやく券売機を見つけて、あらかじめスマホの写真に保存しておいた、操作方法を見ながらいじってみたが、いまいちうまくいかない。すると、後ろに並んでいた、同じ年齢くらいの男性が手を貸してくれて、ようやく手持ちの少ない小銭からで50ルーブルだけチャージ完了。名も無い紳士には感謝しても仕切れない。


 なんとかプロスペクト・ミーラへ到着し、今後このようなことがないよう、思い切って、1ヶ月使い放題のチャージをすることに決心した。2170ルーブル。初めからこうすればよかった・・・明日から出来るだけ地下鉄やトラムを利用しよう。



(おやつによく食べたプリャーニク。これはスーパーで売っている一口サイズのもので、蜂蜜と小麦粉やスパイスなどで作ったお菓子で、ちょうど日本のかりんとうと丸ぼうろと甘食のいいところを足して割ったような味や食感をしている。安いしほんと好き。

これにもっとスパイスを足し、ドライフルーツやナッツを混ぜ、メッセージや動物などが描かれたりした型にとって焼いたおまんじゅうみたいなものもある。)


次回、6日目。

サーカスと人形劇をみた〜い!の巻

 へ、つづく。


旅の準備から前日19日、ロシアへいきた~い!の巻

2月20日、『レーニンを見に行きた~い!の巻

2月21日、『ガガーリンとライカに会いた〜い!の巻

2月22日、『トレチャコフ美術館へ行きた~い!の巻

2月23日、『おとぎ話の世界にきちゃった〜!?の巻